自我という名の「プロジェクター」――世界を映し出す仕組み
前回は「空(くう)」という、すべてを包み込む大きな「和」についてお話ししました。 今日は、その大きな世界の中で「私」という存在がどうやって世界を見ているのか、その仕組みをのぞいてみましょう。
1. 自我は「映し出す装置(関数)」
数学の世界に「関数」という考え方があります。何かを入れると、決まったルールで何かが出てくる「箱」のようなものです。
実は、私たちの「自我(セルフ)」も、この関数によく似ています。 宇宙という無限の情報が広がっている場所に、ポツンと置かれた**「プロジェクター(映写機)」**を想像してみてください。
2. 「射影」とは、光をあてて切り取ること
プロジェクターが光を放つと、広大な暗闇の中に「映画」が映し出されますよね。 宇宙という多次元で複雑な「情報の塊」に、自我という光をあてて、自分が見たい形にギュッと絞り込んで映し出すこと。 これを少し難しい言葉で**「射影(しゃえい)」**と言います。
例えば、目の前に一輪の「花」があるとします。
- ある人は、その「色」の美しさを映し出します。
- ある人は、その「理科的な名前」を映し出します。
- ある人は、その「香りの記憶」を映し出します。
もともとの「花」は無限の情報を持っているけれど、あなたの自我というプロジェクターが、その一部を**「自分専用のスクリーン」**に映し出している。それが、あなたが見ている世界なんです。
3. 分けることで「私」が生まれる
プロジェクターが光をあてて世界を映し出すとき、同時に**「分ける」**という作業も行われています。 「映っているもの」と「映っていないもの」。 そして、「見ている私」と「見られている世界」。
自我という関数が、宇宙という大きな「和」の中に境界線を引いて、一部を「射影」することで、はじめて「私」という物語が動き出します。
4. 映写機のスイッチを、そっと切ってみると
もし、このプロジェクターのスイッチを、修行や瞑想でそっと切ってみたらどうなるでしょうか。
スクリーンに映っていた物語(射影)は消え、境界線もなくなります。 そこには、分ける前の、光そのものである広大な宇宙――「空」だけが残ります。
「私」という関数が世界をどう映し出しているのか。 それに気づくだけで、いつもの景色が少し違って見えてくるかもしれませんね。
数学的な「射影」の隠し味
数学における「射影」とは、高い次元のものを低い次元に落とし込むこと。 無限の次元を持つ「情報空間」から、私たちの三次元的な「物理空間」へ、自我という関数がフィルタリングして取り出している状態を指しています。

コメント